尾山神社の門前に店をかまえて
藩祖を祀る、尾山神社境内に続く細い通りを行くと、そこに「板屋」本店があります。ぶらりと散策で、または観光に来られた時にちょっと寄って、できたてのお菓子とお茶で、ちょっと一休みしませんか?
奈良・平安時代から親しまれて来た和菓子は、遣唐使によってもたらせられた「唐菓子」から始まります。当時、神社に供えられた「唐菓子」は、今でも神饌菓子として奈良や京都の神社にその形が伝えられています。その後様々な形に変化し、日本人の味覚に馴染んで行きます。
江戸の元禄年間、和菓子は「京菓子」と呼ばれ、各藩邸の御用は京御菓子司、京御菓子所を称する菓子屋が受けていました。和菓子の銘は古典的な文学生を帯び、優雅を漂わせるようになります。その後、庶民の生活文化の開花とともにめざましく発展し、東海道や五街道筋に名物の和菓子が登場します。伊勢の「赤福」や小田原の「ういろう」がそうです。
そして、江戸や京都の和菓子は大名たちによって地方にもたらされ、それぞれの城下町で独自のスタイルを築きます。ここ、金沢の城下町も茶の湯の心得のあった、藩祖 前田利家によって和菓子が育っていきました。
尾山神社
梅は、ほのかな匂いと清浄さで日本の宮廷時代から愛され、万葉集にも数多く詠まれています。また、学問に秀でた菅原道真公が太宰府に流され、都に咲く非運の想いをはせて「東風吹かば香ひおこせよ梅の花あるじなしとて春なわすれそ」と詠んだ飛梅は、天神様の象徴として知られています。
加賀藩前田家は、その菅原道真公を祖とし、剣梅鉢を家紋に定めて本家のものは加賀梅鉢と呼ばれています。
藩祖を祀る尾山神社近くに暖簾をかかげる、金沢の風土菓 板屋では、そのご縁をいただき剣梅鉢を商標にいたしております。風雅を愛し、学の精神を大切にした金沢のこころを和菓子にたくし、これからも親しまれる和菓子づくりに励んでまいりたいと思います。
板屋 社長
より多くの方に、和菓子というものをもっと身近に感じてもらうため、板屋は、板屋にしかだせない味を追求しています。多くのお菓子屋がある中で、同じ種類のお菓子も多数あります。しかし、種類は同じでも、板屋にしかだせない味のお菓子を作れるよう日々努力しています。
素材には強いこだわりをもっています。美味しいお菓子を作るには、安い素材は使えません。結果的に原価は高くなりますが、一度食べてみれば、きっと御理解頂けると思います。また、板屋独自の味をだすために、原料もみずから作っています。
多くの和菓子屋がある中、人それぞれにお菓子を選ぶ基準があると思いますが、お菓子を通してお客さんとのコミュニケーションをとっていき、お客さんと接しながら美味しいお菓子を作っていきたいです。お菓子を通して心と心が通じてあっていく・・・。そうあっていけたらと思っています。
昭和21年
昭和26年
昭和28年
昭和47年
昭和51年
昭和63年
平成11年
6月
10月
7月
11月
11月
月
12月
初代開業
現在地に移る
法人化
赤坂プラザ開店現在のパレット
スカイプラザ出店(現在の名鉄丸越)
金沢百番街店開店
本店改装オープン
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